自分の不幸も蜜の味?

よく「他人の不幸は蜜の味」だと言われます。

人間は他人の不幸は必ずしも望まない代わりに、自分の幸せは常に望んでいるように見えます。


ですが、自分が失敗したときに「ほれ見たことか!」と言って、ますます確信を強固なものにするようなメンタルセットが自分の中にある気がしています。

そいつは普段はおとなしいんです。

のんびりしているときや、慣れたこと・得意なことをやっているときには出てきません。


ところが、一歩外に踏み出そうとすると、そいつの存在を感じるときがあります。

いわゆる「根拠のない自信」の逆パターンですね。


だからこそ、そいつに根拠を問いかけるようにします。

「コイン投げてもムダだ! どうせ裏しか出ない! 現に今裏が出ただろ!」

「うん、確かに今裏が出たことは事実だ、それは認める。でも、だからといって、次にコインを投げたときに裏が出る確率が100%になるか? 1/2じゃないか?」

こんなふうに。

ただ、こいつはこいつで、
「理論上はそうだ、でも今裏が出たから、100%裏が出続けるに決まってる!」
みたいなごり押しをしてくるからたちが悪いんですよね。

そんなときに、
「うん、じゃあ100%裏でいいよ。その代わり、俺は俺でやるから」
みたいに返せればいいんですけどね。


100%裏しか出ない世界なら、それは100%表しか出ない世界と本質的には変わらない。
何をやっても結果が同じになるわけですからね。

だったら自由にやらせてくれよ、で話が済むような気もしますね。
まあ実際に裏目に出たときにそこまで割り切れるかどうかという話もありますが。


で、最後はお決まりの「どうせ100%失敗するなら、何もしない方が相対的にプラスになるだろ!?」のセリフで、行動しない人間になっていくわけです。

結局のところ、「失敗してでも何かをやりたい」という「意志」がないから、こういう甘ちゃんを自分の中に飼ってしまうんでしょうね。


というわけで、突き詰めると「俺はこれがしたい!」というビジョンの欠落に端を発するのかなと。

んで、「ビジョンはないけどプラスは欲しい!」みたいな思想だから、盛んに吠えるわけです。

ビジョンなくしてプラスなしです。
方針を示すか欲しがらないかの二択でしょう。
逆に言うと、少しでも欲しいと思うならさっさと方針を示すべき。
そうしないと、いつまで経っても自分の中にわがままなガキを飼い続けてしまうのです。


自分の幸せを心から喜べる大人に早くなりたいものです。