魂は残る! 死生観が変わってきた。

哲学をするとなると、「死とは何か」という問題が出てきます。

この問題について、昔と今の自分とでは異なる考え方をしています。

 

・昔の死生観:「死≒世界の終わり」

昔の自分にとって、「死」は「世界の終わり」でした。

「自身が喪失することは世界の存在を認識する主体が消えることであるから、それは世界の消失にほぼ等しいものだ」といった思想を持っていました。

 

そもそも、人間はすべからく生に向かって進む存在であるにもかかわらず、最後は必ずその方向性と矛盾した死という結果で終わる。

その矛盾が不思議で、哲学という学問に惹かれた部分もありました。

 

まさしく以前の自分にとって、死は絶対的なテーマだったわけです。

 

・今の死生観:「死≒肉体の終わり」

今は、死についてそこまで絶対性を持たせてはおらず、専ら「肉体の終わり」といった捉え方になっています。

もちろん、肉体の消滅は大きな変化ですから、現実的に強い意味を持つ問題であることに変わりはありません。

ですが、以前のような絶対的要素としては捉えていません。

 

例えば、坂本龍馬をイメージしてみてください。

彼は150年以上前に若くして亡くなりましたが、未だに様々なモチーフで扱われていますよね。

これはある意味では、彼はまだ「生きている」ということにならないでしょうか。

 

彼に限らず、歴史上の偉人と呼ばれる人物については、概ね似た傾向が見られます。

言い換えれば、「肉体は消えても、魂は消えていない」わけです。

 

これは、偉人でなくとも同じです。

大切な人や家族が亡くなっても、まだそばにいるかのように感じたことはないでしょうか。

決して霊的な意味ではなく、残された人々は亡くなった人々のことを覚えていて、色々なものが受け継がれていく。

そのとき、人は肉体を超えて「生きている」ように思うのです。

その在りようこそがまさに「魂」ではないでしょうか。

 

というわけで、歴史に名が残るかどうかは知りませんが、そこまででなくとも自分の魂がどこかに残るような生き方を心がけていきたいと思っている次第です。