「後悔しない生き方」って何だろう。
果たして、明日人生が終わるとして、「一片の悔いなし」と言えるのか?
…今はまだ言えないな。
ここで死んだらこの身体を与えてくれた神様にちょっと申し訳が立たねえ、みたいな気持ちはあります。
まあ、気づけただけでもありがたいもので、これからの人生はくすぶる後悔の種を少しずつ潰していけたらと考えています。
たぶん、人間には以下の三段階の気づきがあると思っています。
1、そもそも、後悔に値する要素があることに気づいていない→だからなまじ「後悔しない」と言えてしまう
2、ようやく後悔の要素や原因に気づき始めるが、それを解消できていない→よって後悔が残る
3、後悔につながる要素をほとんど解消し、人生にやり残しがない→心から「後悔しない」と言える
自分はちょうど1→2の過渡期に来ているように思います。
今までずっと「後悔しない」と思い込んでいましたが…どこかで心の声に対して耳をふさいでいましたね。
ただ、「何をしたら後悔しないか?」という問いに対する全容はまだ見えていません。
おそらく、心が向かうままに踊り続けることで少しずつ見えてくるのでしょう。
注目すべきは、1も3も「後悔しない」という言葉自体は一緒ということですね。
どちらのフェーズにいるかは結構見誤りやすいかもしれません。
気づかずに1の状態で後悔なく人生を終えることと、後悔を残したまま2の状態で人生を終えることのどちらがよいのかはわかりません。
ただ、1の状態だと死の直前に一気に後悔がぶり返しそう。
そのぶり返しもなく完全に後悔のない状態で死ねたらある意味幸せなのかもしれません。
それは全部やりきって亡くなるのと同じくらい難しいのかもしれませんが…
とにかく!
パーティーはまだ始まったばかりだ!
自分が主役の人生を生きなければ!